テキトーに考えていると、ついさっき見たり、聞いたり、考えたりした情報に強く影響されて、自分の意思決定にバイアスがかかることがあります。
このような心理現象を「アンカリング・バイアス」又は単に「アンカリング」と呼びます。
アンカリング・バイアスの定義
直前の情報が、人の意思決定に大きな影響を与えることを”アンカリング“と呼びます。そして、影響を与えた直前の情報を”アンカー”と言います。アンカーとは、船の錨(いかり)のことで、錨を下ろして船を固定するように、最初の情報が人の心を支配してしまうので、そう呼ばれています。そして、アンカリングによって生じる判断の歪みを”アンカリング・バイアス”(バイアス:偏り)と呼びます。
たとえば、相手にインタビューをするときに、「将来に不安はありますか?」と質問すれば、”不安”という言葉がアンカーとなり、相手の回答は否定的になります。一方で、「日本は住みやすい国だと思いますか?」と質問の仕方を変えれば、肯定的な意見が増えるでしょう?
このように、アンカリングによって、人の判断にバイアスがかかり、それをアンカリング・バイアスと言うのです。
(参考:Lieder et al., 2018 *1)
初期の重要なアンカリング実験
アンカリングを最初に発見したA・トヴェルスキーとD・カーネマンは、次のような実験を行ってアンカリングを見出しました。
(参考:Tversky & Kahneman, 1974 *2)
割合推定実験
2人は、「国連に加盟しているアフリカの国々がどれくらいの割合なのか」を被験者に推理してもらう実験を行いました。
まず、推理してもらう前に、0〜100の数字が書かれたルーレットを回して、ランダムに1つの数字を決めました。その後に、「国連に加盟しているアフリカ諸国の割合(%)は、その数字より大きいか?小さいか?」と訊ねました。大きいor小さいと答えてもらったあと、さらに「では、その割合は何%だと思いますか?」と質問しました。実は、このルーレットには仕掛けがあり、10か65にしか止まらないようにできていました。
結果は、ルーレットが10に当たったグループの人の回答の平均値は25%で、65のグループの方は45%となり、驚くべきことに20%もの差が出ました。
これは、ルーレットの数字がアンカーの役割を果たし、回答者の推理に影響を与えたのです。
スピード暗算実験
トヴェルスキーとカーネマンは、高校生たちに「8×7×6×5×4×3×2×1の積はいつくか?」を”5秒”以内に答えさせるという実験を行いました。5秒しかないので丁寧な計算をしている余裕はなく、ある程度直感で答えなくてはなりません。せいぜい「8×7が56、さらに6をかけて300ちょい…」くらいまでしか頭が回らないも思います。
高校生の答えの平均値は2250でした。
本当の答えは40320です。
予想以上に大きい数字だという印象を受けるのではないでしょうか?これも、最初の2、3個の数字の積がアンカーになって、アンカリング効果を生んでいるのです。
実はこの実験にはまだ続きがあります。次は別の高校生のグループに「1×2×3×4×5×6×7×8の積はいつくか?」という先程の質問の数字を前後に入れ換えて出題しました。すると、面白いことに今度は答えの平均値が512となり、先程の出題方法よりも大幅に小さい解答になりました。1から順にかけていくと8からかけていくよりも小さな数字になるので、より小さい数字のアンカーが形成されたと考えられました。
2種類のアンカー
アンカーは2種類あります。
- 他者から提示される「提供型のアンカー」
- 自分の過去の記憶から作り出す「自己生成型のアンカー」
この2つについて詳しく見ていきましょう。
(参考:前述のLieder et al., 2018)
提供型のアンカー
提供型のアンカーとは、他者から提示されたアンカーのことを指します。
たとえば、「東京の平均気温は20℃より低いと思いますか?」と質問されたとします。この場合、20という数字は相手から提供されたので、提供型のアンカーとなります。
ちなみに2021年の東京の平均気温は16.6です。
(出典:気象庁HP『過去の気象データ検索』より算出)
標準的なアンカリングの実験と言えば、基本的にこの提供型のアンカーが使われます。
自己生成型のアンカー
提供型のアンカーの他にも自己生成型のアンカーというものがあります。
自分の知識の中に、すでに基準となる数字を持っているとき、その数字は自己生成型のアンカーとなります。
たとえば、「富士山頂での水の沸点は?」と聞かれたら、まずは誰でも「水の沸点=100℃」を思い浮かべると思います。それから、標高が高い場所では低い温度で沸騰するから「90℃くらいかな〜」と考えるのではないでしょうか?
このときの100という数字は、自分自身の知識の中にあったものなので自己生成型のアンカーと呼ばれます。つまり、他人からアンカーを明示されなくてもアンカリングは発生するのです。
アンカリングの発生メカニズム
アンカリングはどのようにして発生するのでしょうか?
現在、大きく分けて2つの理論が提唱されています。
それが、
- アンカリングと調整の理論
- 選択的アクセシビリティ理論
詳しく説明していきます。
アンカリングと調整の理論
この”アンカリングと調整の理論”の原案は、アンカリングの生みの親トヴェルスキーとカーネマンによって考案されました。
アンカリングと調整の理論では、思考プロセスを二段階に分けて説明されています。
①アンカーを作る思考プロセス(直感プロセス)
②アンカーから調整する思考プロセス(熟考プロセス)
です。
直感プロセスでは、人は手っ取り早く答えを出したいので、正確な答えに至る前の予備的な判断材料として、直前に提示された数字をアンカーとして採用します。その後、熟考プロセスで、じっくりとさまざまな追加情報を考えてアンカーの値から正しい値へ調整していきます。トヴェルスキーとカーネマンは、この調整が不十分になるため、アンカリングが発生すると説いています。
(参考:前述のLieder et al., 2018)
選択的アクセシビリティ理論
アンカリングのメカニズムを説明するもう一つの理論として選択的アクセシビリティ理論というものがあります。
この理論では、まず何らかの数字(アンカー)が提示されると、その数字から連想される情報が選択的に思い起こされるとされています。たとえば、110円と聞けば、缶ジュースがイメージされるのではないでしょうか?その後、答えの推測のときに、その情報へのアクセスが向上するために、回答がアンカーへ引き付けられると説明されています。
具体例を挙げると、「日本車の平均価格は200万円以下だと思いますか?」と質問されたとします。このとき、200万円と聞いたことにより、即座に200万円くらいの車(トヨタのアクアや日産のノートなど)が連想されます。そしてその後、「日本車の平均価格はどれくらいでしょうか?」と聞かれたときに、先程思い浮かべた200万円前後の車の情報に優先的にアクセスが集中します。アクセスしやすくなった知識に頼って答えを推理しようとする結果、自然と回答がアンカー寄りになってしまうということです。
(参考:Mussweiler & Strack, 1999 *3)
アンカリングが強まる条件
先程と説明した「アンカリングと調整の理論」では、アンカリングの影響で意思決定にバイアスがかかっても、その後の調整のプロセスで正しい方向へいくらか修正が施されます。しかし、次の3つの条件下では、もともと不十分な調整がもっと不十分になるため、アンカリングが強まることが証明されています。
- アルコールを摂取しているとき
- 認知的な負荷がかけられているとき
- 考えることへのモチベーションが低いとき
(参考:Epley & Gilovich, 2006 *4)
それでは、詳しく説明します。
1. 飲酒
アルコールを摂取して酔っているときは、アンカリングの効果が強まることが分かっています。
たとえば、心理学者のエプリーとギロビッチは、飲酒中の大学生とシラフの大学生に次のような質問をしました。
「ジョージ・ワシントンが大統領に選ばれた年はいつか?(このときの答え:1788年)」
このとき、”1776年”がアンカーになります。なぜなら、ほとんどのアメリカ人は、アメリカ独立宣言が1776年であることを知っており、その少し後にワシントンが大統領に選ばれたと知っているからです。
実験の結果、飲酒した学生の回答の平均は約1779年、シラフの学生の回答の平均は約1783年となりました。つまり、飲酒中の学生の方がよりアンカー(1776年)に近い結果になりました。このように、アルコールはアンカリングを強める効果があるのです。
2. 認知負荷
別のタスクで頭がいっぱいのときに質問されるとアンカリング効果が高まることが分かっています。
たとえば、エプリーとギロビッチは、学生に8文字のアルファベットを暗記させた上で、次のような質問をしました。
「ウォッカの凍る温度は?(このときの答え:−29℃)
この質問では水の凝固点の0℃がアンカーの役割を果たしています。
実験の結果、暗記タスクで認知負荷がかけられている学生の回答の平均は約−9℃で、そうでない学生の回答の平均は約−13℃でした。つまり、認知負荷のある学生は、普通の学生より4℃もアンカーに近づいていたのです。
このように脳に負荷がかけられているときは、平常時よりもアンカリングに引っかかりやすくなります。
3. 低いモチベーション
考えるモチベーションが低い人は、高い人に比べてアンカリング効果を受けやすいことが分かっています。
たとえば、エプリーとギロビッチは、大学生たちに思考のクセを測るテストを実施して、物事をしっかり考える性格の学生と、テキトーに考える学生を選出し、次のような質問をしました。
「エベレストでの水の沸点は何℃か?(このときの正解:75℃)」
この質問では、地上での水の沸点100℃がアンカーとなっています。
実験の結果、熟考するタイプの学生の回答の平均は約77℃で、考えるモチベーションが低い学生の回答の平均は約81℃でした。つまり、モチベーションが低いとアンカリング効果を大きく受けることが分かったのです。
アンカリングが軽減される条件
さまざまな実験から、アンカリングが弱まる条件があることが分かっています。それが、
- 知識量
- 正確に答えようとする意志
- 金銭報酬
です。それでは、詳しく解説します。
1. 知識量
知識量が多いほどアンカリングの影響を受けにくくなります。
たとえば、スカイツリーの高さは300mより高いか低いかを考えるとき、東京タワーの高さが333mだと知っている人からすれば、300mはあり得ない数値だと気付くでしょう。しかし、それを知らない外国人からすれば、300mも妥当な数値に含まれてしまいます。すると、300というアンカーを意識してしまいアンカリングの影響を受けることになってしまいます。このように、対象に関する知識の有無によってアンカリング・バイアスは増減します。
(参考:前述のMussweiler & Strack, 1999)
2. 正確に答えようとする意志
正しい答えを考えようと努力する意識の高い人は、アンカリング効果を受けにくくなる場合があります。
たとえば、時間をかけてじっくり考えようとする人は、アンカリングによって判断がアンカーへ偏ってしまっても、その後の調整プロセスでしっかりと軌道修正することができるので、正確な回答に近づくことができます。反対にモチベーションが高くない人は、正確な答えを探す努力を怠り、手っ取り早く探し出そうとするので、アンカリングの影響を強く受けてしまいます。
(参考:前述のEpley & Gilovich, 2006)
3. 金銭報酬
金銭などの報酬を与えることによって、アンカリングを抑制する手段もあります。要するに、回答者を物で釣って、考えるモチベーションを引き出そうとする行為です。このように、報酬や罰則などによってモチベーションをコントロールすることを、心理学では「外発的動機づけ」と言います。
たとえば、「次の質問に答えられたら1万円あげます」と言われたら、答えをとても真剣に考えますよね?
このように報酬によってモチベーションを上げることによって、アンカリングを軽減できる場合があるのです。
(参考:前述のLieder et al., 2018)
おまけ〜”アンカリング”の別の言い方~
アンカリング以外にも、アンカリング・バイアスやアンカリング効果といった別の呼び方があります。ほとんど同じ意味ですが、心理学者は区別していますのでご紹介します。
アンカリング(Anchoring):1974年にトヴェルスキーとカーネマンによって命名された用語です。推定値がアンカーに偏る現象を発見し、アンカリングと命名しました。
アンカリング現象(Anchoring phenomenon):論文を読んでいると、アンカリング現象という言葉が散見されますが、アンカリングとほぼ同義です。
アンカリング効果(Anchoring effect):アンカリングとほぼ同義ですが、アンカリングによる効果を強調したいときやアンカリング・バイアスなどと区別したいときに使われます。
アンカリング・バイアス(Anchoring bias):アンカリングによる意思決定や判断の偏りを示す用語です。
アンカリング・ヒューリスティック(Anchoring heuristic):アンカリングを意思決定のためのツールとみなす場合に、アンカリング・ヒューリスティックと呼びます。アンカリングという心理現象を使って、人は物事を素早く判断しているのです。そもそもトヴェルスキーとカーネマンは、「アンカリングらヒューリスティックの1つだ」と言っており、その結果としてアンカリング・バイアスが生じるのです。
*1:F. Lieder, T.L. Griffiths, Q.J.M. Huys, N.D. Goodman, The anchoring bias reflects rational use of cognitive resources, Psychon. Bull. Rev., 25 (2018) 322–349.
*2:A. Tversky and D. Kahneman, Judgment under uncertainty: heuristics and biases: biases in judgments reveal some heuristics of thinking under uncertainty, Science, 185 (1974) 1124-1131.
*3:T. Mussweiler and F. Strack, Hypothesis-Consistent Testings and Semantic Priming in the Anchoring Paradigm: A Selective Accessibility Model, Journal of Experimental Social Psychology, 35 (1999) 136–164.
*4:N. Epley and T. Gilovich, The anchoring-and-adjustment heuristic: why the adjustments are insufficient, Psychological Science, 17 (2006) 311-318.